こんにちは。中島です。3月の15日から17日までの3日間で鹿児島に菅野先生と行ってきました。

今回の旅の目的は鹿児島県の南にある知覧に行くことでした。

知覧は太平洋戦争末期に日本軍が行った、特攻作戦の基地だったからです。

現在そこには、特攻の遺影や遺品、様々な記録などの資料がある「特攻平和会館」となっています。

そこに行って、何を思うか、何を感じてくるか、それが今回の目的でした。

初日は仙台空港から福岡空港に飛び、そこから新幹線で鹿児島に行くというルートでした。

まず、そこでトラブル1つ目、福岡についてそこから、博多に移動したのですが、博多駅で迷子になりました。

当初の予定だと新幹線の時間まで1時間ほどあったので、そこでラーメンを食べるはずでした。

ですがいくら歩いてもラーメン屋かあるエリアに着きません。

なんなら同じ所を行ったり来たりしてました。結局ラーメンは諦めて、新幹線に乗りました。何だか初めから不安ですね。

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鹿児島に着いて、始めに行ったのは桜島でした。

鹿児島のどこにいても、見えるような大きな島で、鹿島人にとってもすごく大切な場所なのだと同じました。自転車でしてきました。1周約36km

約3から4時間かかるよといわれていたのですが目標は2時間。アシスト付き自転車を全力でこいできました。

コースとしてはただ外周をぐるっとするだけのコースでした。

順調に進むこと1時間。ゆるやかな下り板と海が気持ちの良い橋を渡ってしばらく進むと、反対側の道路から先に行っていた菅野先生が戻ってくるのです。

そう、また道に迷いました。

来た道をもどること30分やっと正解のルートにたどりつきました。

トータル約2時間30分、サクイチ(桜島1周)達成です。

その夜は鹿児島の町で地鳥を食べ、芋焼酎をいっぱい飲みました。

2日目はいよいよ、今回の目的であった知覧に行きました。

前日に鹿屋にも行くと良いよと地元の人に教えていただいたのもあり、急遽、鹿屋にも行くことになりましたそのスケジュール変更で、まったく時間の余裕のない旅に早変わりです。

鹿児島市から車で約1時間ほど移動すると知覧特攻平和会館につきます。そこには、特攻作戦で亡くなった特攻隊員の顔写真とともに遺書が展示されています。

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中に入るとシンとした何か異様な空気感をしていました。

1つずつ遺書を読んでいくと、どの遺書にも共通していることがあると思いました。

それは、とにかく文字がキレイなことと、うらみ節1つない、前向きな事しか書れていないのです。

しかもほとんどが残される人達の未来のことや後の人達を気づかう事を書いているのです。

自分が特攻で死ねっていうのに、そんな時まで他人を気づかっているのです。

清らかすぎて、私は、こわいなと思いました。すごいとか、尊敬ではなく恐怖だったのです。

人が誰かのためにここまでなれるのかと思いました。

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知覧から車で鹿屋基地に行きました。

鹿屋は現在も自衛隊の基地があり、鹿屋の資料館は、自衛隊が管理しています。

知覧が陸軍基地で鹿屋は海軍基地です。

海軍といえば、山本五十六が有名ですね。

鹿屋で五十六はじめ軍の幹部が集まって大東亜戦争の開戦を話し合ったとされています。

そんな鹿屋には知覧と同じように特攻隊員の顔写真と遺書が置いております。

その中で絶対に見たい顔写真と遺書がありました。

最初の特攻に選ばれた関行男大尉のものです。

非常に能力があった優秀なパイロットだったそうです。

そんな人が最後に任された任務は「必死」の特攻だったわけです。

前代未聞の作戦の隊長をまかされるのはどのような気持ちだったのでしょう。

新婚だった関大尉の心は張り裂けるような思いだったのではないでしょうか。

結果としては関大尉率いる敷島隊はアメリカの空母1隻を沈没させ、2隻に大きなダメージを与えました。

この結果から特別作戦だった特攻が日本の主な作戦に変わっていきました。

日本の歴史の大きなターニングポイントだったと思います。

知覧鹿屋とみて感じたことは、究極の「利他」でした。自分の命をかけて、日本を家族を恋人を守るという強い思いを感じました。

この「利他」の精神は必ずこれからの人生で大切になるものだと思います。

私達の仕事はとにかく「利他」患者様に幸せになっていただく事だと再認識できたいい旅だったと思います。

さくらメディカル整骨院の11年目の良いスタートをきれました。今年もさらパワーアップしたさくらメディカル整骨院をよろしくお願いします。